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シャンパン・チャーリーとは、オレのことさ! 其の弐。

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シャンパン・チャーリーと、3つのエイドシック。

さて、前回の続きだ。


そもそも、エイドシックのルーツは一つ。

ドイツ人織物商フロレンツ・ルードヴィッヒ・エイドシックが、同業のベルトウ家の娘を嫁さんにもらって、、1785年にランスにて創業。それが本業である織物業より、シャンパンで大成功をおさめた。

しかしながら、跡継ぎであった長男の早死により、三人の甥の手助けで事業は拡大するも、1834年に分裂。

一番年かさのアンリ・ルイ・ヴァルバウムが義弟オーギュスト・エイドシックとの共同で、「ヴァルバウム・エイドシック」社として設立。社名は何度か変わるも、ドライ・モノポールの大ヒットで現在の「エイドシック・モノポール」となる。こちらが、いわゆるエイドシック3社の本家筋にあたるわけだ。

モンターニュ・ド・ランスの中心、見晴らしのいいヴェルズネに自社畑をもつ。その中央にある現存する唯一の風車が、ご自慢と聞く。

その「エイドシック・モノポール」だが、一躍マスコミ界をにぎわした事件がある。1997年のことだ。

第一次世界大戦中の1910年ごろ、ドイツの潜水艦によって、バルト海沖で撃沈させられた小型帆船があった。その船には、1907年出荷の「グ・エイドシック」50箱、5000本のシャンパンが積まれていたという。

80年以上も経った1997年の夏、ある男たちがそのシャンパンのうち500本を引き上げることに成功。その出荷から90年を経ても気泡が存在する限り、シャンパンは十分に飲めることを示した。

これもまた、前々回のコミック・『瞬のワイン』(エチケット34、「海のワイン」)の受け売りだが、
「通常抜栓直前まで澱抜きをせずに10年以上熟成されたシャンパンは、まだまだフレッシュで焼きたてのパンのような味わいがするという。それに澱抜きされたそれは、ナッツ香や、海藻の香りが生きているという」
ということだ。

そう、シャンパンは熟成することにより劣化するどころか、品質は向上する可能性があるということを、そのエイドシックは証明したといえるのだ。

「シャルル・エイドシック」はシャンパン・チャーリーが創業したもので、もちろん分家。

その彼が見習いとして修行したもう一つの「ピペ・エイドシック」はというと、あの3人の甥のうちの一人クリスチャンが、エイドシックの名前で1835年に創業した。

しかし、当主がまもなく死亡。3人のアシスタントとともに未亡人が経営に奮闘。その彼女はアシスタントの一人、アンリ・ギローヌ・ピペと再婚。1850年、ピペが亡くなり、もう一人のアシスタントのクンケルマンに譲渡。社名こそ「クンケルマン」社としたものの、シャンパン名は従来どおりのピペ・エイドシックのまま。

ピペ・エイドシックの家名は、なかなか華やかだ。クンケルマンの娘がダウラン侯爵と結婚。はたまた後年、かつてのオーストリア=ハンガリー帝国の最後の外務大臣である伯爵の孫娘が嫁いでいるといった具合だ

ある有名な絵画がある。マリー・アントワネット王妃に一人の紳士が恭しくも献上しているシャンパンこそが、ピペ・エイドシックのプレステージ・シャンパンである「フローレンス・ルイ」なのだ。

エイドシック3社のなかでは、
「シャンパーニュの宝石」
と賞されるピペ・エイドシックが、売り上げでは一番。

かのマリリン・モンローのお気に入りでもあって、カンヌ映画祭の公式シャンパーニュでもある。そういえば、映画「プリティ・ウーマン」のなかでも、娼婦役のジュリア・ロバーツがいちごを摘まみながら飲んでいたのを、今思いだした。

参考図書;『シャンパン歴史物語』(クラドストラップ夫妻著 平田紀之訳 白水社刊) 『シャンパン物語』(山本 博著 柴田書店刊)

♪ 今夜も、モーツァルト。管弦楽のための音楽を、いつものようにオーディオで聴く。

単なる軽い娯楽音楽じゃもったいない。そこには全編、モーツアルト音楽の粋が、ごく自然な形でつまっているからだ。

名曲・セレナード第9番、「ポストホルン」(K320)をまず、聴こう。ヴェーグ盤、マーク盤と有名盤もあるが、やはりボスコフスキー指揮、ウィーン・モーツァルト・アンサンブルで聴く。

優美、華やかさは隠れようもない。そのくせ、モーツァルトらしい美しさのなかに、哀しみがあいまって、それでいて明るさにあふれた楽しい音楽だ。♪

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