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最高の貴腐ワインへのこだわり、イケム!(1)

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最高の貴腐ワインへのこだわり、イケム!

イケムには、どこか時間を超越したところがある。歴史といい、その規模といい、品質の秀逸さはいうにおよばず、特筆すべきは、そのおどろくべき長寿。

5年、10年、いや少なくとも20年は瓶熟させないと、その秀逸性をみせてはくれない。黄金色に輝くこのワインは、ハチミツや、アプリコットの甘美な香りと、トロリとした甘味が、完璧なまでの優美なハーモニーをかなで、まさに、
「自然が生み出した奇跡」
といえるほどのものだ。

さらには、40年、50年にも達すると、イケムは黄金色からオレンジ色に変化し、褐色化が目立ってくる。それが、イケムをイケムたらしめているのは、そこだ。ふつうの白だと、もう飲めない。ところが、イケムは、違う。それこそ、絶妙の甘さを超えた神酒に化身するのだ。

そのシロップのような濃厚さは、経費のかさむ、あくまで丁寧なまでの工程から生まれる。その結果、途方もない価格がつき、熱狂的な崇拝者があらわれるのも、これまた周知の事実である。

ソーテルヌの格付け、筆頭。それは、とりもなおさず、1855年パリ万国博覧会のさいに、ジロンド県産白ワイン部門の格付けで、ソーテルヌと、バルザックだけが格付けの対象になった。このとき、イケムはとびぬけて、優れた品質により、赤・白を通じて唯一、特別第1級に選出された。

その地位は、いまも揺るがない。言ってみれば、全世界の極甘口白ワインの王座に君臨する。それこそ、異を唱える者さえいない絶対的存在である。


アレクサンドル・ド・リュル・サリュース伯爵は、1968年に叔父・ベルトランドからこのシャトーを引き継いだ。が、皮肉なことに、妥協しないワインづくりを貫いたため、400年以上も同族経営を続けてきた伯爵家の、心血そそいだ生命を奪うことになった。

それはというのも、アレクサンドルは、株式を所有する50人の親族から、不興をかったのだ。若い世代は、非効率で、独裁的な経営を批判した。それに、48%の株式を保有する兄・ウジェーヌとも、対立した。

そこに目をつけたのが、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の総帥ベルナール・アルノー。過半数の株式を、あっという間に、買い集めてしまったのだ。アレクサンドルは 1999年に、泣く泣くシャトーを譲りわたす結末になってしまった。アルノーは、2000年に出版された自伝で、
「ブドウが不出来なら、ワインは出荷されないならわしを理解している」
と語っている。そのため、基本的な品質へのこだわりは変わってはいない。だが、プリムール販売の強化など、マーケティングの面で、イケムの体質を強化した。

けれども、アレクサンドルが売却に異議を申し立てていたため、かれが管理をしていた。しかしながら、 その2004年5月20日、アレクサンドル、70歳の誕生日のその日、総支配人の地位までも失ってしまった。シュバル・ブランのオーナーであるピエール・ルートンが買い取ったのだ。イケムの経営から、完全に手を引き、住み慣れたシャトーを手放なさなければならなくなってしまったのだ。

シャトー、あるいはその一部は、12世紀ごろに建設された。イケムのあるアキテーヌ地方は、英仏百年戦争終了までは、英国領であった。1453年、フランス国王であるシャルル7世のものとなる。その後も、国の所有物であった時代が続いた。

ところが、1593年になって、ソバージュ・ド・イケムのものとなった。ソヴァージュ家は、この地方の名家であり、1565年に、シャルル9世がイケムのエステートを訪れた翌年、貴族に任命されていた。

そのソバージュ家は、その後およそ200年にわたってシャトーを増改築、ブドウ畑を広げ、ワインの生産にはげんだ。1711年、代々シャトーの管理を任されてきたそのソヴァージュ家のレオン・ドゥ・ソヴァージュが、国から所有権を買い取ったことにより、ソヴァージュ家がオーナーとなったのだ。

1785年に、レオン・ドゥ・ソヴァージュの曾孫フランソワーズ・ジョセフィーヌ・ドゥ・ソヴァージュ・イケムが結婚の時に、同シャトーは持参金となった。相手は、ルイ・アメデ・ドゥ・リュル・サリュース伯爵。以後、ずっと同家が所有し続けていた。

ラベルの上に、「Chateau d’Yquem」、その下に、「Lur Saluces」と書かれているのは、この歴史的事情によるもの。リュル・サリュース家が所有者になる頃には、ワインは、すでに世界的な評価を得ていた。

この結婚の2年後、駐仏アメリカ大使(後の第3代アメリカ大統領)である大のワイン好き、トーマス・ジェファーソンが訪れている。
「シャンパンや、エルミタージュの白とならんで、ソーテルヌは、フランスで最上の白ワインと目されています。なかでも、リュル・サリュース氏のつくるワインが最上とされています」
という手紙を残している。かくして、イケムは、アメリカ合衆国ホワイトハウス晩餐会を飾るワインとなった。

ジェファーソンは、1784年のヴィンテージを 250本注文しており、その後1787年をジョージ・ワシントン大統領のために360本、自分自身のために120本購入している。

そんな偉大なるイケムは、ロシアでの人気はさらに高く、皇帝たちは、この不老不死の薬、イケムの熱狂的ファンであって、上得意さまでもあった。そんな1847年のこと、ロシアに狩りに行き、伯爵が、予定より遅く戻ってきてしまった。結果として、ブドウの収穫は普通の年よりずっと遅くなり、そのなかに貴腐菌がついているものがあった。それでも、伯爵は、これらのブドウからワインをつくり、セラーにおいておいた。

ところが、1857年、ロシア皇帝の弟・コンスタンティンがイケムを訪れ、たまたま1847年のヴィンテージを試飲され、たいへん気にいり、1樽、なんと2万フランで買い上げたのだ。これは、この当時のイケムの価格の4倍に相当するものであった。1859年より、シャトーはこのスタイルのワインをつくることに専念したということだ。

ともあれ、イケムは、そのヴィンテージの4年後に、極めて高い価格で出荷される。が、ついやされた労力、リスク、そして厳格な選別過程を考えれば、そのような値札に値する数少ない高級ワインの一つであることは、まちがいない。シャトーによると、
「今まで一度も補糖をしたことがない」
ということで、それがシャトーの誇りともなっている。

ブドウは、収穫されてから1時間以内に醸造所へと運ばれ、圧搾機へ。それも昔ながらの3基の小型の木製桶枠のプレスだ。それを、近年同じ型の最新型にかえたという。

通常は品種ごと、区画ごとに分けたりするが、イケムでは収穫した日にちで分けているため、しぼった段階で、セミヨンと、ソーヴィニヨン・ブランが混じることもあるという。

ちなみに、高貴種ではあるが、若いうちは香りに乏しく、個性のうすい品種であるセミヨン、それを補うためにソーヴィニヨン・ブランがブレンドされるが常だ。

空気圧式と、垂直式の2種類の圧搾機を所有しているが、通常、最初は空気圧式に入れる。1回目の圧搾では、ブドウの含まれる果汁の75%が、2回目も、空気圧式圧搾機を使用して、15%がしぼられる。

潜在アルコール度数は、最初にしぼられたものが一番低く、約19度、2回目が約21度。さらに3回目には、垂直式圧搾機を使用して約10バールの強さで圧搾し、潜在アルコール度数が25度にもおよぶ果汁を得る。

圧搾して得られた果汁は、地下タンクに移され、発酵がはじまらないように、温度を下げた状態で、一晩そのまま寝かされる(デブルバージュ)。こうすることによって、圧搾機から果汁とともに出てきた不純物が、下部に沈殿させることができるわけだ。翌日、上澄みだけを取り出して、新樽に入れ、室温を上げて、アルコール発酵を開始させる。

アルコール発酵は2~6週間と、その期間は幅広くなっているが、これは自然酵母のみで発酵をおこなっているためだ。アルコール発酵が自然に終了したもの、もしくは終了しただろうと判断されたものは、そのままステンレスタンクに移されて、マイナス4℃に温度を下げ、再度発酵がはじまらないように、樽のなかに、また戻される。

糖度が14度になっても、発酵が止まらないものについては、二酸化硫黄を添加することによって、発酵を強制的に停止させる“ミュタージュ”と呼ばれる作業をおこなって、発酵を終了させる。

その後、熟成は毎年、新樽100%でおこなう。樽は4社から購入し、焼付けはミディアム。そのため、ワインにはヴァニラのようなフレンチ・オークに由来する香りがみられる。瓶詰め前に、ヴィンテージよっては、濾過をすることもある。

ミュタージュをおこなった樽は、最初の1ヶ月~1ヶ月半は、オリを攪拌させるバトナージュをおこなうが、それ以外のものに対しては、やらない。約3ヶ月に1回のオリ引きと、週に2回の目減り分の補充。ワインは、3年から、3年半熟成させて、ゼラチンでコラージュの後、瓶詰めされる。 アルコール分は13%以上と高く、残糖は最上のもので、120g程度。



■ シベリウス/交響曲 第2番 二長調 Op.43 (別名「シベリウスの田園交響曲」)

シベリウスの7つの交響曲のなかでは、最も親しみやすく、人気の高い交響曲。神秘的で、北欧のロマンティックなイメージそのままの作品。

名匠ジョン・バルビローリと、手兵ハレ管弦楽団の代表的な名演。バルビローリならではのカンタービレの表現とが混然となり、ぬくもりを感じさせる。豊かな情緒に包まれたこれらの演奏は、数あるシベリウス録音のなかでも、やはり別格。

ところが、この2番、それがアダになったのか、フリークたちの間では、一段低い評価になっている。たしかに後期のあの何処までも深遠な曲想と比べると、音楽に深みが欠けるのは事実だろう。

それでも、第1楽章導入部の弦のスタッカート・スラーの伴奏形からして、とてもユニークだし、中間部の壮大な盛り上がりも感動的である。また、第2楽章の暗く、荒涼たる雰囲気のあじわい、第3楽章から、第4楽章への移行の見事さなど、シベリウスならではの独創性、斬新さが見られて、やはり魅力的な曲。

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