はじまりの酒、ドン・ペリニヨン(1)

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はじまりの酒、ドン・ペリニヨン(1)



ドン・ペリニヨンの功績をたたえて、「モエ・エ・シャンドン」社は、1936年、偉大なる人物・「ドン・ペリニヨン」の名前を冠したシャンパンの製造をはじめた。

むろん品質への妥協は一切せず、ブドウの品質が良くなければ、ヴィンテージ宣言をしない。それは、シャンパーニュ地方の17のグランクリュと、オーヴィレールのプルミエ・クリュのブドウのみからつくられている。

正確にはドン・ペリニヨンがシャンパンを開発した訳ではないのだが、かれの功績そのものが現在のシャンパーニュの元となったといっても過言ではない。シャンパンの誕生は、偶然によるよるものと同時に、人の生み出した傑作でもある。

「兄弟たちよ、すぐにここに来てくれ! わたしは星を飲んでいるゾ! 」
と、ドン・ペリニヨンがはじめて口にしたとき、こう叫んだという。

最古のベネディクト派の修道院の一つ・オ-ヴィレール修道院から、事実上のシャンパン物語がはじまる。そこは、シャンパーニュ地方・マルヌ渓谷の高所に位置する。

以前にも記述したが、シャンパーニュ産は歴代・国王のお気に入りだった。しかし、まだ泡もないごく普通のスティル・ワインに過ぎなかったが、宮廷内で、つねにブルゴーニュ産ワインとの競争関係にあった。ただ、マルヌ河を下れば、パリまで運ぶのはカンタンであって、その近い分だけ、シャンパーニュ産ワインが優勢だった。

ところが、1400年代の後半、ヨーロッパで河川や、湖が凍結し、寒冷化現象が起こった。シャンパーニュ地方も、気温がぐっと低くなった。それは、とうぜんワイン醸造にも影響をあたえた。

ブドウ果汁中の糖分をアルコールに変えるのは、ブドウの果皮に付着している酵母である。その酵母は、収穫後のまだ暖かい時期に、このプロセスを進める。寒冷化後、その時間が足りなくなった。そう、アルコール発酵が、いきなり止まってしまったのだ。

それがまた、春が来ると、ふたたび発酵がはじまるといった具合だった。それまでに、ワインは樽や、瓶に詰められている。この2度目のアルコール発酵でも、二酸化炭素が生成され、それらの容器に溜まり、発泡性を与えることになってしまった。

それため当時の高貴族たちは、それを嫌って、シャンパーニュ産ワインは人気が大凋落。その後、200年間シャンパンは苦難の時代を経験することになる。

そんな頃、シャンパーニュ地方に広大なブドウ畑を所有していて、落ち込む収入源に悩んでいたカトリック教会は、問題解決のため、1668年、29歳のドン・ピエール・ペリニヨンに白羽の矢を立てた。かれは、自らの使命を、
「世界最高のワインをつくることだ」
とまで、書き記している。かれは天才とまでいわれたすぐれた嗅覚と、敏感な味覚を持っていた。

そんなかれがもっとも熱中したことは、ワインの二次発酵をとめることだったのだ。つまり、皮肉にも、泡立たせなくすることだったのだ。できるだけ安定した白ワインをつくるというビジョンを持っていたため、ワインが二次発酵しないための長い試行錯誤が、ここにはじまったのだ。

かれはというと、再発酵しやすい白ブドウの栽培ではなく、ピノ・ノワールなどの黒ブドウを栽培することにした。その黒ブドウから、白ワインをつくるのだ。赤ワインではブルゴーニュ地方にはかなわないことは、すでにわかっていた。

そんな黒ブドウから白ワインをつくるために、素早く果汁を搾り、色のついている果皮と、接触する時間を少なくできる圧搾機をも考案した。

また、ブドウの栽培技術を向上させ、ブドウにとって厳しい気候条件で毎年同じように良質なワインを生産し続けることを可能にするために、かれは異なる畑、品種、異なる年につくられたワインをアサンブラージュして、毎年良質な同じタイプのワインをつくれるように研究を重ねていった。

かれの努力の甲斐あって、単体のベース・ワインよりも、すぐれた新しいワインがつくりだされた。そして、かれがつくるシャンパーニュはフランス一有名な白ワインになった。

それに、樽にくらべて、空気に触れることが少ないガラス瓶を使用した。加えて、当時の栓には、木片に油を染み込ませた麻の縄を巻いたものを使っていたが、これを気密性の高いスペイン産の“コルク栓”に変更。

このほかにも、安全かつ熟成を確実におこなえるように、一年中一定の湿度と温度が保てる場所として、カーヴを石灰岩の地盤に掘らせたりもした。こうした努力の甲斐あって、当時は1年ほどしか保存できなかったものが、5~10年までもたせることに成功した。

ところが、人々の味覚に変化がおきる。「泡立つワイン」が、流行のアイテムとして、一躍脚光を浴び、上流社会でファッショナブルになったのだ。その背景としては、当時の高級な白ワインは生産性がなく、収穫量が少なかったため、発泡性となると超貴重な品となったようだ。

そんなころ、イギリスでは、「泡立つワイン」があったらしい。シャンパーニュ地方のワインに糖分を与えてやると、発泡が生まれ、アルコールが増すことを発見し、その製造に関する論文を、クリストファー・メレットがロンドン王立協会に提出している。

すると、カトリック教会は、今度はワインの泡立ちを高める方法をドン・ペリニヨンに命ずることになる。かれの大きな功績の一つに、布や木杭の代わりに、コルクを使ったことにある。そのため、スパークリング・ワインに多量の炭酸ガスを含ませられるようになった。

と同時に、悲惨な影響をも引き起こした。コルク栓の打ち方にも原因もあり、またまだガラス製造技術が未熟だったため、十分な強度がなく、高い内圧のせいで爆発。通常、スティルワインの気圧は1気圧だが、シャンパンの気圧は6気圧もある。

かれがシャンパンを製造していた当時の大きな問題は、勝手に瓶内発酵がおこり、つくったシャンパンの瓶が破裂してしまうことだった。およそ8割までもが破裂していたということだった。仮面までもつけて扱われ、「悪魔のワイン」と、恐れられたりもしていた。

新しい瓶の導入は、シャンパンの発展に大きく寄与したものだ。それは、イギリスから到来した。海軍の造船に関して、ロバート・マンセル卿は、木材資源の消費に危惧を抱いていた。とりわけ、ガラス製造者の使う木材消費量は相当大きかったので、これを禁じた。この結果、石炭を使った火炉を開発。色は黒くなったが、強度が格段に高まった。

ドン・ペリニヨンが試行錯誤して生み出したシャンパン生産も、「フランス式」とよばれ、各国のスパークリング・ワイン製造に用いられている。「シャンパン方式」とか、「伝統的方式」というのが、それだ。

※ 「DP」と、略する。「ドンペリ」と略しているのは、世界中で日本だけ。

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