ルブロション・ド・サヴォワ!

長い間、人の目から隠されていた伝統のチーズがあった。

あるスキー客が村に立ち寄らなかったら、このチーズはこれほどまでに評判を呼ぶことはなかっただろう。17世紀まで、チーズ製法は秘密だった。

貧しかった。どこも同じだった。それは、13世紀ごろのここフランス・サヴォワ地方でも同じことだった。

赤ら顔のミュンシュは満足そうにうなずいてから、みすぼらしい山小屋のドアを閉めた。ワインのせいで、ちょいと足元がおぼつかないが、愛用の長い警ラ棒をくるくると振り回しながら、その山小屋をはなれていった。

そこには、翌朝業者が取りに来るまで、村人たちが搾乳したミルクを保管していた。管理人のミュンシュが監視するなか、村人は領主に納めるために朝と、夕べの2回搾乳するのが日課だ。
「それじゃ、仕事にかかるか」
と、最年長者である山羊ヒゲのモントーはひとりごちた。

夏だというのに、陽の明るさは残っているものの外は暗く、寒い。ここは標高1300mのサヴォワの山岳地なのだ。ボロをまとい身をひそめていた3人は、ゆっくりと腰を上げた。3人はめいめい大ぶりの輪ッパをはめた桶を持ち、自分たちが世話をしている牛たちのところへと向かった。

これから2度目の搾乳だ。1回目のときより、濃厚なミルクがとれるはずだ。そう、ちょいとこずるい農民たちは1度に全部搾りきらずに、その2度目の濃いミルクでチーズをつくり、こっそり食用としていたのだ。

農家はミルクを地主に土地代として納める”フリュイ”という方法で、借地放牧を余儀なくされていた。この搾乳税制は、1617年カルトジオ会修道士により廃止されるまで続いた。貧しくて斜面のきつい土地柄だったが、大きくて広い放牧場だけはあった。

ルブロション・ド・サヴォワAOC』。やさしいミルクの香りとともに、濃厚なナッツ香。人を包み込むようなやさしいカビの香り。”ル=ブロシェ”は、ウシの乳房を2度摘むというイミ。

ルブロションは、ほかのセミ・ハードのチーズとちがって、ずいぶんと小ぶりでやわらかくはあるが、なぜか品格がある。見かけもそうだが、それだけじゃない。

うっすらと白カビが顔を出し、青みがかった黄色ともうすいピンクともいえる表皮。固めの表皮だが、アイボリー色した中身はやわらかく、ねっとりモチモチ。しんなりとゼリーのような弾力。ややほろ苦さを感じるが、じわっとまろやかにとろけでる旨味がいい。

オート=サヴォワ県トーヌの谷で生まれた。原産地の領域はオート・サヴォワ県全域と、サヴォワ北端の東西70km、南北70kmに及ぶ。急斜面での放牧のため、乳牛も大型じゃなく、あの顔だけ白いアポンダンス種、足腰の強い茶褐色したタリーヌ種、およびモンペリアルド種の3種のみ。

前にも書いたが、牛乳の味わいは高山植物などの夏草をほうばった乳牛と、冬の飼葉で飼育された乳牛とではまったく違う。夏の牛乳のほうが濃厚なのだ。



ミルクは搾乳ごと、ただちに製造場所へと運ばれる。ただし4℃で保存した場合、凝乳酵素は24時間以内に添加。冬期は、36時間以内。朝乳と、夕乳とを合わせてケトルにうけ、32℃で温めたうえで、レンネットを添加。

カード切片と、ホエーとに分かれるタイミングをはかり、ケトル内を34~35℃まで温度を上げ、カード切片が収縮しやや弾力性を帯びるまで、およそ30分ばかりゆっくりとかき回す。

その収縮したカード粒子をロカ布ですくい上げ、水を切った上で型詰めに入る。流し台に並べた内径が15cm、高さ7cmの円筒に小分けする作業にかかる。これは手作業だ。

各々の円筒に約2kgの重石を載せ、4時間ほどプレス。ついで、その生チーズを飽和状態になっている食塩水に漬ける。塩をふりかけもせず、この時の1回だけだ。

日をおいて、反転を繰り返した後、乾燥室の棚へ。しばらくすると、表面には軽く白カビが広がってくる。地元の人たちはそれを、<猫の毛>と呼ぶ。それと同時に、白カビ特有のチーズ表層の軟化が始まる。

今度はそれを醗酵室に移し、ごくうすい塩水で表面をあらって白カビ菌を抑え、リネンス菌の増加を促す。洗うことによって、外皮に張りができる。また、日をおいての反転を繰り返すが、今度は表面の乾燥をはかって、白カビの生育を促す。

そして、あの<猫の毛>が見えてきたころになると、またまた塩水で表面を洗うという繰り返しの作業を続ける。3度目の<猫の毛>が生えたころに、最後の洗いを行って完了となる。この間、およそ3週間ほど。

と、どうなるか。表皮はうすいピンク色した地肌に、白くベールをかけたよう。その内側では、乳酸発酵や、その他の菌による発酵やらに加えて、白カビによるタンパク質の分解が進行。いくつかの不規則な小さな気孔もあらわれ、風味の穏やかなチーズとなる。

分類上セミ・ハードのタイプだけど、ウォッシュともいえるし、白カビなどの要素も十分詰め込まれている異色のチーズなのだ。

エビセア(モミの木の一種)の皮をうすくはった経木にのせて、一両日の乾燥日をもうけ、完成。できあがったチーズを出荷するさいも、今ではすっかり懐かしくなったその経木を上下にはさんで包装する。

白カビの影響もあって、製造から3~4週間と短く、発酵、熟成が行われる。直径13~14cm、高さ3~3.5cm、重さはやく450g。プティ・ルブロションは、順に9cm、3cm、240~280gほどである。

形はふぞろいだが丸いのがフェルミエ製で、工場制はやや四角っぽい。それに、フェルミエ制だと、製造者である農家のNO.を記載した緑の楕円形のカゼインマークが張られる。工場制は赤色のマークだ。

そのカゼインマークだけど、朝乳で仕込んだチーズの場合だと、これから起きてるよって意味合いで側面・垂直に張られ、夕乳だと、もう寝ますよってなイミで上面に張られるようだ。残念なことに、ここもフェルミエ制は年々減少傾向にあるというが、うれしいことにまだまだがんばっている農家もあると聞く。

上品な木の実の香りがすることから、砕いたヘーゼル・ナッツをのせてデザートに。常温で溶けやすくなる特性をいかして、じゃがいものグラタンは意外とポピュラーかも。

そのじゃがいもをつかったサヴォワの有名郷土料理に、「タルティ・フレット」がある。じゃがいもに玉ねぎとベーコンを炒め、輪切りにしたルブロッションをのっけて焼くというもの。サヴォワ地方は、サラミ・ベーコンの名産地でもある。

ワインはちょいと上等な白で味わいたい。もちろん地元産の辛口白でもいい。が、こんなときおなじ白でも、やや強めの独特の香りを持つゲヴェルツトラミネールなんか試してみてはどうだろう。

※ 再投稿

参考; 『チーズ図鑑』(文芸春秋編、刊)



♪ スェーデンとの同君連合下のノルウェー・ベルゲンで生まれたグリーグは、民族主義的な作曲家である。と、同時に繊細な抒情詩人的な音楽家だった。
「わたしの曲作りの素材はベルゲンの町にあります。ここは港町特有の活気があり、人々の生活がわたしにインスピレーションを与えてくれるのです」

劇音楽『ペール・ギュント』と、2つの組曲は有名。しかし、彼が本領を発揮したのは、ピアノ曲『抒情小曲集』などの小品であり、声楽家だった妻ニーナのために作曲した歌曲にある。ベルゲンの自然を愛し、民謡や民族音楽をとりいれた郷土色の強いメロディ、こまやかな叙情性、舞曲のリズムの多様性を活用した。

とりわけ、「抒情小曲集」はグリーグのライフ・ワークであり、優しく親しみやすい人柄を反映している。それは、われわれ日本人にはなんとなく懐かしさにあふれ、心に染みわたる。

今夜は、その66曲・10集のうち評判の高い第5集から、グリーグ自身がオーケストレーション用に編曲した4曲の抒情組曲をiPodで聴く。そして、リバッティの演奏でリストが絶賛したピアノ協奏曲イ短調をもあわせて聴く。

参考図書:『グリーグを愛す』(伊藤よし子著 ショパン刊)♪