われは1級なりしが、かつては2級なり、されどムートンは変わらず!(2)

PREMIER JE SUIS, SECOND JE FUS, MOUTON NE CHANGE.1973年、史上唯一の昇格を果たしたシャトー・ムートン・ロスチャイルドのラベルに、そう記したのはバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドの創業者フィリップ男爵だった。



さしものロスチャイルド家も、20世紀を迎える頃には、おとろえを見せはじめた。各国での銀行業は、ロンドン、パリ、ウィーンの三行になってしまっていた。それでも、ヨーロッパ列強の軍備拡大に乗じた資金援助で、大儲けはするものの、列強間に戦争を避けるように働きかけもした。しかし、残念ながら、以前のような絶対的な影響力は、もはや存在していなかった。

1914年、第一次世界大戦が勃発すると、各国にちらばっていたロスチャイルド家の男たちは、愛国心に燃えて、戦場へとおもむいた。2000万人もの負傷者と、1000万人もの死傷者を出したこの悲惨極まる戦争により、ロスチャイルド家もまた、おびただしい損失をこうむった。

とりわけ、敗戦国側の一族は、深刻な財政状況となり、一族の結びつきは失われていった。また、ヨーロッパの経済システムが変わってしまい、所得税や、相続税が導入されるようになったことも、かれらに不利な結果をもたらした。

それでも、かつてほどの圧倒的な権力はないものの、政治、社会活動、学術文化方面での貢献、豊かで贅沢な芸術コレクション、慈善活動、パレスチナ・イスラエル入植運動と、どれもみなこの一族の存在感を取り戻しつつあったのだ。

だが、このようなことが、さしものナチスにとって、目の上のたんこぶとなったのである。ナチスは、ロスチャイルド家を血祭りに上げ、その財産を奪おうとした。ロスチャイルド家は、はじめから反ユダヤ主義による攻撃対象として狙われていたのだ。このユダヤ財閥を悪しざまに描いた映画が、次々と製作され、ユダヤ人の人権剥奪、強制輸送、民族殺戮へと暴走していった。

ロスチャイルド家の邸宅、財団法人、慈善施設などは没収されるか、強制的に買い取られたウィーン分家はイギリスに亡命し、パリ分家では住居、財産、そのほとんどを没収されてしまった。

フィリップ自身はというと、妻と娘を残し、レジスタンスに身を投じノルマンディ上陸作戦に加わったりもした。

シャトーはナチスの手に渡り、荒廃の危機。しかし、不幸中の幸いだったのは、ゲーリングがシャトー・ムートンに目がなかったことだ。かれがワイン総統となり、ワインづくりを管理監督したことで、シャトーの荒廃は免れはしたが…

1945年。自ら戦い、勝利者の一員として、ポイヤック村に帰還したフィリップは、ナチスから逃れていた娘フィリピーヌと涙の再会を果たした。が、妻エリザベートは、ゲシュタボに連行され、収容所送りの列車に乗せられ、強制収容所で悲惨な最後を遂げていた。それはほんの数日違いで終戦に間に合わず、収容所送りの最後の列車だったのだ。

痛みと苦しみのなかフィリップは、ふたたびワインづくりをはじめた。それを祝福するかのように、この年のワインは、20世紀最高のグレート・ヴィンテージとなった。また、フランス解放を祝うために、「V」マークを冠したラベルをデザインした。そのとき、
「その年のラベルを、その相応しいデザインで飾ろう」
という独創的なアイデアを思いつく。これが、有名画家によって毎年描かれるラベル・コレクションのはじまりだった。その条件はというと、そのラベルのヴィンテージ5ケースと、好きな年のヴィンテージ5ケースだという。

ちなみに、ロスチャイルド家の子供たちによる、シャトーの買収もすすんだ。とりわけ、エドモン・ド・ロスチャイルドが、クリュ・ブルジョワ級のシャトー・クラルク(リストラック)を購入し、熱心なワインづくりにより、格を超える品質のワインを産出している。まさに、恐るべし、ロスチャイルド家の子どもたちだ。

現在、ムートンをはじめとし、ダルマイヤック、クレール・ミロンなどのエステートを5銘柄、オーパス・ワンなどのジョイント・ヴェンチャーを4銘柄、シャトー・クーテの販売のほか、ネゴシアンをもふくめ、取扱商品は60銘柄を超える。ボルドーの輸出市場において、非常に大きな影響力を持つ。フィリップ在りし頃からの、その革新的な姿勢は、いまも少しもおとろえてはいない。

ムートンこそ、まさにポイヤックの真髄というべきワイン。ボルドーの格付け第1級銘柄のなかで、最もたくましく、驚くべき長命のワインである。一徹なまでに、長熟型の偉大なワインづくりを守り続けている。

そんなワインのスタイルは、濃い深みのある色調、黒すぐりと、スパイスのような強いブーケを放ち、熟された果実が濃縮した豊かで、濃厚な味わい。リッチさと、豪華さが結びついて、強いタンニンが和らげられ、絶妙なバランスを保つ。まさにその舌触りと、気品の高さは、最高のフィネスの一言に尽きる。

ムートンという名前の由来は、この地方の古い言葉で、mothon( motte=土塊)がなまったもの。牡羊のマークは、先代オーナーであるバロン・フィリップが牡羊座生まれだった、と誤解されていたためだが、それもシャレで採用したのだとか。

以前、ムートンをふくむポイヤック全体は、ワインの貴公子、と呼ばれたセギュール伯爵の所有だった。1853年、ナサニエルが父親の命を受け、このシャトーを手に入れた時は、ブラーヌ男爵が持ち主であって、畑こそ優れてはいたものの、農耕小屋程度の建物しかなく、さながらシャトーと呼べる代物ではなかったようだ。

ロバート・パーカーは、
「ムートン・ロートシルトの地位も、ワインも、故フィリップ・ド・ロートシルト男爵が独力で築き上げたものだ」
と、その著書・「ボルドー・第4版」で、フィリップの功績をおおいにたたえている。とはいっても、
「かつては理解しづらいシャトーだった」
と、ポロリと本音をもらしつつ、
「卓越したワインをつくりだすと同時に、とりわけ一級シャトーとしてはがっかりさせられるほど、凡庸なヴィンテージが多かったのである。ラフィットほどは向上していないし、ラトゥールにもまだまだ追いつく必要がある。超一流のワインではあるが、ムートンのワインは、豊富なタンニンのせいで、時おりだが、心持ちバランスに欠ける場合があるようだ」
と、ちと疑問を投げかけている。

それでも、パーカーはムートンの偉大なる商業的成功の理由として、
「まず、ムートンのラベルは、コレクターズ・アイテムなのだ。1945年以降、フィリップ・ド・ロートシルト男爵は毎年1人の画家に1枚の絵の作成を依頼しては、ラベルの上部に載せてきたのだが、ラベル絵を描いてもらう大家にはこと欠かさなかった」
と、敬意を表している。それはフィリップの美術への興味と、愛好からきた習慣で、かれが亡くなってからも、娘フィリピーヌによっても続けられた。



オークションでも、1945年以降のすべてのヴィンテージをそろえたセットが、途方もない価格で取引されていることでも、それはまた裏づけられている。それだけに、
「偉大なヴィンテージにおけるムートンの豪勢さが、ラフィットの生硬な優雅さや、力強く、タニックで、濃厚で、男性的なラトゥールとは、かなり異なるものであることがあげられる」
としながらも、パーカーは、
「申し分なく維持されたシャトー自体が、その卓越したワイン博物館とともに、メドックの(そしてたぶんボルドー全域でも)最高の観光スポットとなっていること」
と書く。それは醸造所のなかにも、アートのオブジェが置かれていたり、建物内にはフィリップによってつくられた美術館まである。

驚くべきことに、上空からシャトーを見てみると、なんとその建物が“牡羊の横顔”に見えるように配置されていることでも、話題性は充分だ。最後に
「男爵自身が、自らのワインのみならず、ボルドーのすべてのワインの宣伝に尽力したことである」
と、パーカーは最大の敬意をはらっている。

1961年のこと、ネイサンの曾孫フィリップの一人娘フィリピーヌの結婚式が、犬猿ともいえる仲であったロンドン、パリの両分家和解のきっかけとなった。バロネスと、エリーの甥エリック男爵は、幼なじみ。イギリス・ワイン雑誌『デカンター』の2009年1月号に、はじめての共同インタビューが掲載されもした。

ムートンの畑は、78ヘクタール。ブドウの平均樹齢はおよそ45年、一部では100年近いブドウの樹も残っている。植樹密度、8、500本。平均収量、40~50hl/ha。その土壌は、主に砂利質。カベルネ・ソーヴィニヨンが植えられている一番良い区画のあたりでは、この砂利質が7~8メートルにも達している。

やはり、メルロー向きの表土が薄く粘土にすぐ達する土壌よりも、カベルネ・ソーヴィヨン向きの水はけの良いところが圧倒的に多い。カベルネ・ソーヴィニヨンが77%と、非常に高い比率で植えられており、残りは11%のメルロー、10%のカベルネ・フラン、2%のプティ・ヴェルド。

ガーネットのような深い色と、あの独特な芳香。 ブラックカラントというジャムにする果物に似た香りが特徴とされ、すぐ近くの畑で栽培されるラフィットよりも、むしろラトゥールに香りや、味が近い。

ブドウ栽培には、必要な時にしか肥料や農薬を使わない「リュット・レゾネ」という方法が取り入れられている。また、現在では多くのシャトーが利用している、“カジェット”と呼ばれる容量の小さい収穫カゴを、ほかのシャトーに先駆けて、いち早くもちいたのもムートンだった。

およそ300人という大人数で、ブドウを一気に収穫。降雨からの被害を避けるため、人海戦術で作業をすすめる。選果をしながら、手摘みで収穫されたブドウは、カジェットを積み重ねて、つぶれないようにはこばれる。

壮厳ともいえる巨大な醸造所に到着すると、1番目の選果台へと移され、選果と、除梗されたあとに、ふたたび選果台へと戻されて、2回目の選果がおこなわれる。そうして、健全で、完全なブドウの粒だけを選り分けるや、すぐさま破砕して、28基のフレンチ・オークの発酵タンクに入れる。なお、醗酵槽は、すべて木製である。

アルコール発酵中は、温度を28~30℃に保ちながら、1日およそ3回のルモンタージュを繰り返して、発酵が終了すると、3週間という比較的長めの果皮浸漬をおこなう。その後、フリーラン・ジュース、プレス・ジュースのなかから、全体の約10%にあたる果汁を選び、樽のなかでマロラクティック発酵をおこない、残りはタンク内でおこなわれる。

ステンレス・タンクは所有してはいるが、これを使用するのは、一部の果汁のマロラクティック発酵と、ブレンドの時だけ。近年、一部で低温マセレーションを取り入れている。果汁によっては、18℃で、最大2日間の発酵前マセレーションをおこない、ワインの色がより濃くなるようにしている。

醗酵、マセレーションののち、ワインはオークの新樽に直接移される。マロラクティック醗酵後、ワイン・ロットはブレンドされる。ついで、最低で80%、ヴィンテージによっては100%のフレンチオークの新樽に入れて、熟成。この樽は自社ではつくってはいないが、12社と多彩なバリエーションを持たせている。

その後、ワインは前衛的な舞台づくりの広大な地下醸造セラーに移され、樽で18~22ヶ月熟成する。ワインは4ヶ月ごとに1回、定期的に伝統的な方法で澱引きをおこない、卵白によるコラージュがおこなわれる。

発酵タンクがならぶ部屋のとなりは、まさしく壁一面カビだらけの樽貯蔵室になっている。この「横 25m、奥行き100m」という巨大な樽貯蔵室は、1926年にバロン・フィリップによってつくられた。それは、もちろんかれのこだわり。ここには、大樽を2段に積み上げなくても、1000樽も入れることが可能だという。

ムートンは、昨今のモダン・ボルドーに対抗すべきかのように、良好な熟成能力を持つ、力強い「クラシック・スタイル」のワインをつくることになる。

再投稿。

■「ブルックナーは神を見た。マーラーは見ようとした」 マーラー:交響曲第2番ハ短調 「復活」

ワルターの言葉である。ワルターと、バーンスタインの2人で充分なんだが、あえてクレンペラー/フィルハーモニアで聴く。今の時代における演奏とは一線を画した演奏。重厚で落ち着きがあり、リズムもふくめ揺らぎのまったくない。無用な情緒を一切はぶき、ひたすらストイックな姿勢で演奏は展開される。

テンポは、遅い。第1楽章の冒頭は、そっけないくらい淡々とはじまるが、クレンペラーの気迫のこもった指揮が聴ける。

第3楽章もよくできた演奏。やはり渾身の第5楽章が聴きものだ。マーラーのオーケストレーションが、目映いほどに壮麗な音楽が鳴り響く。まったく息もつかせぬような演奏で、オルガンや、舞台外の楽隊をふくむ大編成の管弦楽にくわえ、第4楽章と、第5楽章に導入された声楽が、スペクタクル的な効果を演出。

じっくりとしたテンポをたもち、この壮大な交響曲を、それも言葉にならないほど壮大なスケールで、美しい音を響かせていく。