チーズもリサイクル!
チーズもリサイクル。そんなチーズがイタリアにある。イタリア人にとって、そのチーズは日常生活には欠かせないものの一つだ。とりわけ、出来上がったばかりのチーズは、味わい、香りともベスト。
もちろん、そのまま食べてもらってもOK。チーズを乗っけたパンにハチミツなどを落とすと朝食に、それに大好きな甘~いお菓子に、料理にと、使い方はじつに多種多彩、無限にある。
淡白で、ミルキーな『リコッタ』。「cotta」は、イタリア語で、”火を通したとか、煮た”、「ricotta」で、”ふたたび煮た”というイミどおり、チーズの製造過程でできる余りもののホエーでつくるチーズだ。酸味があまりなく、ちょいと甘みがあり、さっぱりとした口当たりが自慢のフレッシュ・チーズだ。
歴史は古い。エジプト人やシュメール人の時代からはじまって、ギリシャやローマの時代にも多く使用されていたという。イタリアでは、もともと羊乳を原料とするチーズをつくった時に出たホエーを使っていた。現在では牛乳製、山羊乳製、水牛乳製、混合乳製など多様な乳種のリコッタが存在している。
ペコリーノづくりが終わって、すぐにろ過器を通して、大なべに入れ、点火。ホエーを93~95℃で加熱し、カクハンしながら、羊乳や山羊乳、または前日の残ったホエーを加える。
そして、アクを取り除き、ぷくぷくと浮いてきたカードを集め、麻の袋に入れ、水切り。ふたたび、水と、塩を加えて、大なべに残ったカードが浮くのを待つ。
これを穴の開いたひしゃくですくいとり、カゴ状の型に流しいれる。アラ熱をとり、冷蔵庫で、一晩。その型から出して、完成。5日以内に食べきる。出来立ては、香りがよく、大変おいしい。
この製法こそは、ホエーが熱によって凝固し、沈殿する性質を利用したリサイクル・チーズたる由縁である。本場・イタリアでは、羊乳、それもペコリーノをつくった後のホエーを使う。
生産地の多くは、ナポリ近郊、サルディーニヤやシチリアは、主に羊乳を使い、北部は、牛乳を使用。前回でも記述したように、サルディーニャ島は、あの「ペコリーノ・ロマーノ」、および「ペコリーノ・サルド」の最大の生産地でもある。
カンパーニャ地方産の水牛製は、格付けも高く、もっともおいしいらしい。(注; ※)でも、全生産量のほとんどは、牛乳製だ。
ちなみに、日本で販売されているものは、牛乳製。それも、あの「マスカルポーネ」と同じ価格か、それ以上で売られている? 「マスカルポーネ」は、『リコッタ』をベースに、濃厚なクリームを練りこんで、うんと付加価値をつけたものであるはずなんだが。
いずれにしても、素朴でいて、庶民派のチーズらしく構えたところが無いし、実に応用範囲が広いチーズであることには間違いはない。
南イタリアでは、リキュール、砂糖、シナモン、ハチミツをかけるデザートが一般的かな。そう、南イタリアを中心に、イタリア全土でつくられている。
とりわけ、シチリアなどでの「カンノーリ」、「カッサータ」は有名。そういえば、映画「ゴッド・ファーザー」で、コルレオーネ家の年取った手下が食べていたのを、ふと思い出した。
保存のため、塩漬けした羊乳製「リコッタ・サラータ」。塩漬けして熟成させた「リコッタ・フォルテ」。粉にして、パスタに。パルメザンとは、ちと違った味わいを楽しめる。
カネロニ、ラヴィオリなどのパスタの具にも。他にも、生クリーム入りの「リコッタ・ア・ラ・パンナ」、黒コショウ入り、ハーブの香りつき、イチジク入りってのもある。
軽い白ワイン、やや甘みのある白、ロゼはどうかな。もちろん、リコッタの使いかたしだいですがね。コーヒー、紅茶でも、むろんOK。
■参考;日本では2005年10月から法令上の種類別名称が「チーズ」ではなく、「乳又は乳製品を主原料とする食品」に変更された。
注※; 以前、水牛の乳から基準値を超える人体に有害なダイオキシンが検出された、とあった。また、カンパーニャ州の特産品でもあるモッツァレッラ・チーズの一部製品からも検出。保険省は、原料である水牛の乳を納入した可能性のある83の酪農場に出荷停止を命じた。それを受け、検察当局は食品安全に関する法律違反などの疑いで捜査をはじめた、ともいう。
州都・ナポリでは、犯罪組織による産業廃棄物の不法投棄が問題化されており、廃棄物中のダイオキシンが、水牛の体内に取り込まれた可能性があると指摘。
この問題で、チーズの品質管理機関によると、モッツァレッラ・チーズのイタリア国内の売り上げは激減している、と追って報道がなされた。わが国の厚生労働省の対処はすばやく、イタリア産モッツァレッラ・チーズに対して「輸入保留」の措置を取っている、との報道があった。
参考;『チーズ図鑑』(文芸春秋編、刊)
再投稿です。(注;チーズ/フレッシュ イタリア編 2007/06/22 )
♪ エラのデッカ盤を聴く。ダンサーを夢見た17歳の少女が、ハーレムの黒人エンタの登竜門として有名だったアポロ劇場のアマチュア・コンテストで優勝。
そのときのエピソードを一つ。ほかの出場者とのギャップにガクゼンとした少女は、とっさの思いつきで亡き母との思い出の歌を歌う。押し出され、しり込みしていた少女をからかって騒ぎまわっていた観客は、その歌声に大きな拍手でもって答え、アンコールまで要求した。エラ・フィッツジェラルドのプロ・デビューだ。
すでに、完成されていた。後年、うんと洗練されたが、天性のスキャットのうまさ、ストレートなバラード、何でもござれのエラだった。うまい。うますぎるのだ。美人なんかじゃないが、キュートさを持ち合わせていた。それに、なんといったって、エラの歌は楽しいのだ。 とりわけ、有名にして名盤ともいえる『エラ・イン・ベルリン』。こやつも、ついでに聴いてみよう。 ♪