Wine & Dine! チーズのうんちくも...  ENOTECA楽天市場店

これぞ究極のシャンパン、「サロン」!

wine

これぞ究極のシャンパン、「サロン」

☆ Today’s Special ☆

■ WINE & DINE; 『サロン』、クリュ・シャンパーニュの先駆け。
■ Classical; シューベルト 弦楽五重奏曲 ハ長調 D.956

「ウジェーヌ・エメ・サロンというひとりの完璧主義者がつくり上げた、芸術的ともいえる創造物」
であり、そして、その創造物である『サロン』は、
「シャンパーニュでは新参者ながら、そのステータスではトップに君臨する稀有な存在である」
とは、よくいわれるところだ。ラグジュアリーグッズと呼べる唯一のシャンパーニュだ。そのシャンパーニュ地方では、5番目に歴史の古いメゾンでもある。

エメ・サロンは、教師として働きはじめたのだが、毛皮商人に転進、そして成功。エペルネから南にのびるなだらかな斜面の中腹にある最上の区画を、1ヘクタールだけ買った。

それは、メニル育ちのかれの思い出深いコート・デ・ブランの特級畑だった。「白い丘」という名前に象徴される石灰質土壌から、酸とミネラル、気品をそなえたシャルドネがうまれる。そのなかでも、最高品質のシャルドネを産するのが、有名なメニル・シュル・オジェ村の畑だ。

無類のシャンパーニュ好きだったかれは、せめて自分の飲むシャンパーニュは自家製でと思うのもムベなるかな、趣味でシャンパンづくりをはじめたのだ。それも、そのシャンパーニュづくりはというと、単一畑の単一品種のブドウのみを使うというなんともゼイタクきわまりない、究極のシャンパーニュづくりだったのだ。


この区域は、シャンパーニュ地方全体で17村しかないグラン・クリュ格付けの村のうち、なんと6村までもが集中している。それに、残りの8つの村も、90パーセント以上の格付けという、群を抜くテロワールの高さをも誇っている。

ブドウは、斜面の中腹、標高160~220メートルの部分がベストだという。メニルのシャルドネは各メゾンの垂涎の的だが、ブドウの行き先はクリュッグや、ヴーヴ・クリコなどと限られている。

なんにしても、サロンは、初めてづくしのシャンパーニュであった。シャルドネの生一本、ブラン・ド・ブランが初の試みなら、ル・メニルの単一クリュものというのも、また初めて。さまざまなクリュから寄せ集めた3種類のセパージュをブレンドすることこそ、シャンパーニュづくりの真髄とされていた当時の常識から、完全に逸脱していたのだ。

しかし、そのメニルのテロワールを表現するというコンセプトは、ジャック・セロスらが提唱するクリュ・シャンパーニュの先駆けでもあった。平均樹齢は、50年前後の古木ばかり。ブドウを購入している二つの畑は、比較的冷涼な気候帯のなかにある特有の温暖なクリマを持っている。

パリ華やかなりしベル・エポックの時代。大戦争と知られる第一次世界大戦のキズ跡が、まだ生々しく残る1920年代のこと。エメ・サロンは、ヨーロッパ随一の社交場として君臨し、王族や俳優の社交場だったレストラン、「マキシム」に入りびたるようになった。

ラベルのない自家製のシャンパーニュを紹介して、かれはすこぶるごきげんなひとときを楽しんでいたが、ひよんなことから義兄のつてを頼って、シャンパーニュづくりにのり出すことになった。義兄は、のちに「クロ・デュ・メニル」、と呼ばれる畑からつくられる「クロ・タラン」をあつかっていた。

そんなシャルドネのみで醸造した逸品は、そのマキシムにおいて、ハウス・シャンパーニュに採用されたことが、まさしくサロン伝説のはじまりでもあった。

1911年に、初リリース、3年後には、ル・メニル・シュル・オジェ村に社屋を構えたものだ。だが、現在においても、その知名度たるや、とびっきり高いが、その金属製の門はあまりに地味すぎるには、おどろく。たたずまいそのものも、エペルネや、ランスにある大手メゾンとはずいぶんと異なっていて、質素で、こじんまりとしている。

無理もない。生産量はといえば、ヴィンテージにつき6万から10万ケースに限られている。それもノンヴィンテージはつくらず、出来の良い年にだけ、それもヴィンテージ物を仕込むだけのメゾンなのだ。もちろん、ブラン・ド・ブランだけである。

それゆえ、20世紀に誕生したサロンは、数えてもわずか32にしかならない。それも、ほかのメーカーが、
「今年はいい年」
と判断して、ヴィンテージ・シャンパーニュをリリースするような年でも、
「今年はサロンの品質ではない」
として、生産しない。当然、不昨年には決してつくられず、それはサロンの姉妹ブランド、「ドラモット・ブラン・ド・ブラン」にまわされることになる。これが、かの名高いサロンのセカンド。

エメ・サロンは、1943年に亡くなった。かれの家族は、1963年、ベスラ・ド・ベルフォンに売却した。長年にわたり、ワインはドゥミ・ミュイの木製の大樽で熟成していたが、残念ながら、その伝統にもついに終止符が打たれることとなってしまった。

にもかかわらず、オーク樽を使わなくなっても、なおもサロンのナッツのようなアロマや、ほとんどヴァニラのような特徴が、いまだに感じられるのは興味深い事実でもある。その繊細な泡立ちと、果実味、酸味のたぐい稀なバランス、豊かなボディを備えたフィニッシュの長いシャンパーニュである。

サロンは、いくつかのメゾンの手を経て、1989年からローラン・ペリエが、オーナーになった。理想的な斜面にある畑は1.5ヘクタール。その石垣に囲まれた貴重な20の小さな区画は、ジャルダン・ド・サロン(「サロンの庭」)と呼ばれ、細心の配慮によって、ブドウが栽培されている。

ワインづくりはといえば、圧搾機など最新設備を導入しながらも、つくりは伝統的。収穫されたブドウは、ふつう3回の圧搾で、キュヴェと呼ばれる一番絞りと、ニ番絞りを用いられているのだが、サロンではよりクリーンな一番絞りのみを用いる。温度コントロールのできるステンレス・タンクで、野生酵母を使って、ゆっくりと発酵させる。それも、アルコール発酵のみで、マロラクティック発酵はおこなわない。

通常、シャンパーニュは一次発酵をおえると、マロラクティック発酵に入るが、サロンでは瓶熟させる。つまり一次発酵を終えた後、ドミ・ミュイと呼ばれる約130リットル入りの樽に詰められ、翌年の春まで、そのままの状態で、最初の熟成に入るのだ。

なおも、通常のシャンパンでは瓶内二次発酵がおわって、オリ抜きの際に、ドサージュと呼ばれる味わいの調整はかかせないが、サロンでは一切おこなわれていない。また、現在ルミアージュはほとんど機械化され、人手に頼るところはごくマレだが、昔のままに職人がこの仕事をおこなっている。

そして、その瓶熟の期間がたいへん長いのも、特徴のひとつ。ヴィンテージ表示をするシャンパーニュの場合、定められている瓶熟期間は3年だが、サロンは10年前後の瓶熟をおこなって、市場にお目見えすることになる。

この長い熟成期間により、サロン独特の香味が生まれる。ナッティな酸化熟成香は、オーク樽を連想させるものではが、サロンにおいて、オークは一切使用されていない。ミネラル豊富な土壌で育まれた、シャルドネが、熟成により、かもし出す自然のフレーバーなのである。

シューベルト 弦楽五重奏曲 ハ長調  D.956

アルバン・ベルク四重奏団、ハインリヒ・シフ(Vc) で聴く。シューベルトの最晩年、ハ長調の大交響曲「グレート」の後に続いて完成された大作。亡くなる2ヶ月前に、作曲された。

シューベルトの室内曲には、歌があふれている。もちろん、これも例外ではない。モーツァルトの有名な弦楽五重奏曲は、弦楽四重奏にヴィオラを加えたものだが、シューベルト唯一の弦楽五重奏曲は、チェロを加えたもの。この先駆としては、チェロも上手だったボッケリーニが数多くの作品を残しているので、当時は一般的だったのかもしれない。

チェロを一本加えたため、オーケストラをも想起させる重厚な音響を響かせ、伸びやかでシューベルト的な旋律が多く登場する曲ではある。にもかかわらず、突然深淵をのぞき込むような暗い楽想が登場する。これがシューベルトの、死への想いを表現したものだといわれているようだ。

短調で入り、長調へ転調する第1楽章は、もちろんモーツァルト、ベートーヴェンも使用していたが、シューベルトの場合、長調に変わったときの雰囲気が、とても高貴で美しいのでよけい短調が活きてくる。

第2楽章(アダージョ)は、映画音楽などでよく使われているおなじみのもの。力強い第3楽章。第4楽章のスケールの大きさは素晴らしく、フィナーレも、また文句なし。

■■飲酒は20歳になってから。飲酒運転は法律で禁止されています。お酒は楽しくほどほどに。

タイトルとURLをコピーしました